日本歴史地名大系 「新居宿」の解説
新居宿
あらいしゆく
浜名湖西岸の湖畔に位置し、東は
〔古代・中世〕
天平一二年(七四〇)一一月二〇日の浜名郡輸租帳(正倉院文書)にみえる新居郷の遺称地とも考えられる。「万葉集」巻一に高市連黒人の歌として「何処にか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟」、巻一二には「草陰の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山道越ゆらむ」の歌があり、安礼の崎・荒藺の崎を当地にあてる説がある。
明応東海地震などにより浜名湖と遠州灘を結ぶ今切が形成されると、東対岸に位置する舞坂との間に中世東海道の渡船場が置かれ、橋本宿に代わる交通上の要衝となり、湊および関所の機能も有した。文明一二年(一四八〇)六月、太田道灌が上洛の途、「あらゐの浜にて」、「吹風に波もあらゐの磯の松木陰涼しき旅の空哉」という歌を詠んでいる(平安紀行)。弘治三年(一五五七)三月一〇日、山科言継が駿河から帰洛する時に、今切渡を過ぎて新居里宿に至ったが、風雨が強いため逗留している(言継卿記)。永禄五年(一五六二)二月二四日、今川氏真は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報