今福庄(読み)いまふくのしよう

日本歴史地名大系 「今福庄」の解説

今福庄
いまふくのしよう

尾上町今福おのえちよういまふくを遺称地とする庄園。山城石清水いわしみず八幡宮宝塔院領。承安元年(一一七一)一二月一二日今福庄を含めた宝塔院領の一二ヵ所の庄園が院主により私領相伝されていたため、改めて同院領とする宣旨が下された(「官宣旨案」石清水文書)。しかし養和元年(一一八一)一二月二日の後白河院庁下文案(同文書)では宝塔院領の一二庄園への濫妨が禁止されており、建久元年(一一九〇)一二月には今福庄を含めた一二庄が同院に返付されている(「後白河院庁下文案」同文書)。文明一五年(一四八三)一二月五日、長田景資は十一面観音像一体と今福庄公文分内一段を鶴林かくりん寺に永代寄進した(「長田景資仏像・下地寄進状」鶴林寺文書)

今福庄
いまふくのしよう

現今福付近にあった山城石清水いわしみず八幡宮の庄園。享禄四年(一五三一)一二月三日付の材秀書状写(石清水文書)に、曾禰山城守なる者に対し、先規のごとく今福庄の所領を石清水八幡宮へ還付したうえ、その代官職に任命するとみえる。当時、当庄が代官支配の形態をとり、その代官によってしだいに侵略されていた様子がうかがえる。なお当庄は中世榎並えなみ庄の庄域に含まれるが、正応二年(一二八九)七月一五日付の石清水八幡宮菩薩戒会頭差文写(同文書)によると、「今福御綱曳神人藤次郎」なる者が頭役を勤仕しており、すでに当地に石清水八幡宮の綱曳神人が存在していたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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