今西庄(読み)いまにしのしよう

日本歴史地名大系 「今西庄」の解説

今西庄
いまにしのしよう

庄域は今西・延勝寺えんしようじを中心に広がっていたと推定される。長寛二年(一一六四)七月、「浅井西郡今西庄大番舎人」が官使の非法な庄域点定を訴え出ている(陽明文庫所蔵兵範記仁安二年秋巻裏文書)。建久三年(一一九二)一二月、一条能保が男女子息に配分した亡室(頼朝妹)遺領のなかに庄名がみえ、平家没官領であったことが知られる(「吾妻鏡」同月一四日条)。「民経記」寛喜三年(一二三一)一〇月九日条に、伊勢使の「連々御免所」として庄名があがるが、領主は不明。このとき「今西庄駅家雑事」を免除するか否かが未定のうちに、官使が庄家を譴責し問題となっている。いつの頃からか室町院領となっており、正安二年(一三〇〇)に没した室町院(後堀川院の娘暉子)の所領目録に「散在御領」「御別相伝 院御分」としてあげられている(「室町院所領目録」八代恒治氏所蔵文書)。室町院の没後は、直仁親王(花園天皇皇子)がその所領を相続、応永五年(一三九八)五月、同親王が没すると、その一部が伏見宮栄仁親王に継承されている(同年一〇月一六日付「後小松天皇綸旨」勧修寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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