塩津庄(読み)しおつのしよう

日本歴史地名大系 「塩津庄」の解説

塩津庄
しおつのしよう

塩津浜しおつはまを中心とした一帯に比定される。年未詳の室町院領目録(八代恒治氏旧蔵文書)に、散在領として「近江国塩津庄」とみえ、「御別相伝 院御分」の注記がある。室町院(後堀河院の娘暉子)没後、直仁親王(花園天皇皇子)遺領を相続、応永五年(一三九八)五月親王が没すると当庄を含む七ヵ所の遺領を伏見宮栄仁親王が継承した(同年一〇月一六日「後小松天皇綸旨」勧修寺文書)。伏見宮家では、当庄を期限を限って近臣に預けており、応永三二年一〇月には、栄仁親王の仕女であった廊御方が、貞成親王より「一期以後七年知行」を認められ、年季以後は返すことになっていた(「看聞日記」同月五日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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