介良城跡(読み)けらじようあと

日本歴史地名大系 「介良城跡」の解説

介良城跡
けらじようあと

[現在地名]高知市介良

鉢伏はちぶせ山の北西麓、小高い丘の上にあった平山城。花熊はなくま城・横山よこやま城ともよばれた。土豪横山氏の本城。横山氏は谷秦山の「土佐遺語」によると敏達天皇の後裔小野氏の子孫といい、時季が武蔵国横山に住して横山氏を称し、その一一代賢覚が土佐の横山氏の始めという。「土佐国古城略史」は「油屋又兵衛所蔵横山氏系図に曰」として、土佐に流されていた源希義(頼朝の弟)は平家方によって討たれたが、「建仁三年八月横山左近允朝泰将軍頼家の命を奉じ、土佐国介良に来る、希義の既に死せるを聞き、髪を削りて僧となり、澄尊と称す、歳十七、澄尊公文但馬守阿闍梨賢覚を生む、二郎重孝、伊豆守時澄、兵衛督時秀、修理大夫時光を歴て、野二郎時義に至て、始て介良庄を領す、時義左馬頭時道を生み、時道左京亮道範を生み、道範九郎兵衛時継を生む、之を介良の城主とす、慶長四年四月八日卒す」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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