日本歴史地名大系 「介良庄」の解説
介良庄
けらのしよう
現介良辺りを荘域とした。元弘三年(一三三三)六月四日の足利尊氏御判御教書(蠧簡集)に「土佐国介良庄事、為走湯山密厳院領之処」とみえ、伊豆国走湯山密厳院領の荘園。「和名抄」にみえる古代の
「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)九月二五日条によれば、平治の乱後「当国介良庄」に流されていた希義は、頼朝の挙兵に呼応することを恐れた平重盛の家人蓮池家綱・平田俊遠によって
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報