介良庄(読み)けらのしよう

日本歴史地名大系 「介良庄」の解説

介良庄
けらのしよう

現介良辺りを荘域とした。元弘三年(一三三三)六月四日の足利尊氏御判御教書(蠧簡集)に「土佐国介良庄事、為走湯山密厳院領之処」とみえ、伊豆国走湯山密厳院領の荘園。「和名抄」にみえる古代の気良けら郷は当地域に比定されるところから、同郷を基に成立したものと思われるが、立荘年次や成立事情は不詳。「吾妻鏡」文治元年(一一八五)三月二七日条によれば、源頼朝の弟希義を葬った介良庄の琳猷が頼朝へ報告に行く時、走湯山の住僧良覚を介していることから、平安時代末には走湯山領となっていたと推定される。

「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)九月二五日条によれば、平治の乱後「当国介良庄」に流されていた希義は、頼朝の挙兵に呼応することを恐れた平重盛の家人蓮池家綱・平田俊遠によって年越としごえ(現南国市)で討取られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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