長宗我部地検帳(読み)ちようそがべちけんちよう

日本歴史地名大系 「長宗我部地検帳」の解説

長宗我部地検帳
ちようそがべちけんちよう

三六八冊

原本 高知県立図書館(山内家寄託)

解説 長宗我部氏による土佐国惣検地帳戦国・織豊期の一国規模で残る検地帳としては唯一のもので、国指定重要文化財。御櫓帳(おやぐらちよう)の別称がある。長宗我部氏は土佐統一、四国制圧の過程で逐次検地を行ったようで、永禄七年から天正一五年にかけて土佐の諸郡、また天正九-一三年には讃岐伊予・阿波各国で検地例がみられる。同氏は豊臣政権服属後の天正一五年九月から大規模な惣国検地を実施、これは太閤検地一環をなすものと考えられている(ただし長宗我部地検帳無指出論もある)。その後、文禄・慶長期に新干拓地の検地、一部では天正検地の仕直し検地も行った。間竿は六尺三寸で(当初は別竿であったとも指摘される)、一反三〇〇歩制、三〇〇歩で五〇代(一代=六歩)の単位を用いている(畝の単位はない)。町・反・代・歩の地積単位は長宗我部氏のあとに土佐に入部した山内氏も踏襲した。地検帳類は元文二年以降、高知城の証文櫓に納められていたが、そのうちには元禄の新本や文禄・慶長の検地帳、山内氏入国後の検地帳、また所務帳(長宗我部氏の直轄地から貢租を取立てるために作成されたもので内検取帳ともよぶ)名寄帳なども含まれており、天正の地検帳正本は二八三冊である。 検地帳といっても指出的性格が強く、記載は半葉五筆、一筆ごとに字名(ホノギ)・地積・地目・地位・出目・名請人などを記す。地積と等級によって石盛が示され、地高が石高を表しているといってよい。これは近世にも引継がれ、山内氏は検地帳に石盛を示さず、検見の高に免(租率)を乗じて土免を定めた。地検帳にみられる領有耕作関係などを示す用語には以下のようなものがある。 直分(じきぶん)直領(じきりよう)は長宗我部氏の直轄地で、地検帳によっては佃・手作地の表示がある。分・領は、長宗我部氏またはその一門の所有地にみられるが、寺社領、旧国人領主層や中世の有力名主の系譜を引く者の所領を示している場合もある。給は国侍・上級家臣や一領具足・職人などに支給された。(ひかえ)は中世の名主職にあたるが、一般士民の保有地で、耕作権を含めた所有権をさすようである。また近世に入って兵農分離が進み、農民身分が確定されると、農民が耕作を命じられた田畑を扣地とよぶようになる。(かかえ)は山間部に多くみられ、もとは公領における保有地を示す用語であったようであるが、原野やその新開地、あるいは田地化された地を示すようになったらしい。持の表示も不明な点が多いが、扣・抱と同じように中世の名主職の権利を伝統的に承認されたものらしい。(さく)は作職で耕作権をさすが、領主または給人(給主)と作人との間で契約された耕作権を意味する。なお作人は農民とはかぎらず、給人であって扣主や作人となっている場合もある。居屋敷地は居・ゐ・主居などと表示されるが、給人・百姓の居屋敷が郷村に「主居」と記されるように、兵農未分離の状況がうかがえる。

活字本 昭和三二-四〇年に高知県立図書館から刊行(全一九巻)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「長宗我部地検帳」の意味・わかりやすい解説

長宗我部地検帳 (ちょうそがべちけんちょう)

長宗我部氏による天正~慶長期(1573-1615)の土佐国惣検地帳。戦国・織豊期,一国規模で残る検地帳として唯一のものである。長宗我部氏は土佐統一,四国制圧の過程で逐次検地を行ったようであり,1578年(天正6)に長岡郡・高岡郡の一部,83年阿波国にその検地例が見られる。その後,豊臣政権に服属後の87年9月より90年5月にかけて大規模な惣国検地を実施しており(幡多郡三崎村のみ同年12月),これは太閤検地の一環をなすものと考えられている(長宗我部地検帳無指出論もある)。また文禄・慶長期には新干拓地や一部に天正検地の仕直し検地も行われている。この一国惣検地帳は浦戸城に保存されていたが,長宗我部氏に代わった新国主山内氏が接収,高知城内の櫓に格納し,〈御櫓帳〉と呼ばれた(山内氏はこの地検帳高をもって本田高とし,その田制の基本として引き継いだ)。1634年(寛永11),この写本が完成(戦災で焼失),原本は47年(正保4)より88年(元禄1)にかけて裏打修補されて今日に伝わる(高知県立図書館蔵)。全368冊。ただし元禄の新本や文禄・慶長の検地帳,山内氏入国後の検地帳,また所務帳・名寄帳などを含むので,天正の地検帳正本は283冊である。この地検帳の記載内容は半葉5筆,1筆ごとに在所(小字(ホノキ)),地積,地目,地位,出目,名請人が記されており,間竿6尺3寸,1反300歩制であるところから,太閤検地との関連が見られる。ただし,代制(1代=6歩)が残っていること,名請人は百姓のみならず給人が単独,または作人と併記される例が珍しくなく,しかも給人・百姓の居屋敷が郷村に〈主居〉と記されるように,兵農未分離の状況が如実に示されている。また,山間部には名体制の残存が強固であり,この期の土佐の後進性がうかがわれる。この〈主居〉の記載によって,郷村別の給人名を抽出列挙したのが《秦士録》(奥宮正明著)である。なお,在所を示す小字とまま見られる注書は,地名学,民俗学,国語学や,地理,動植物,地学等の諸学研究にも益する。
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