伊予田与八郎(読み)いよだ・よはちろう

朝日日本歴史人物事典 「伊予田与八郎」の解説

伊予田与八郎

没年:明治28.2.26(1895)
生年:文政5.4.8(1822.5.28)
明治用水開削者。三河国碧海郡阿弥陀堂村(豊田市)の清水伝右衛門の3男。幼少時に大庄屋で素封家の伊予田家の養嗣子となり,嘉永3(1850)年には上野手永1万1000石を管轄する大庄屋に任命された。この地域は矢作川右岸の低湿地で,年々水害に悩まされていた。万延1(1860)年の大水害を機に,岡崎藩の支援を得て,排水計画を練り幕府に申請したが,水路予定地の農民や,刈谷・福島両藩の反対にあって中断。廃藩置県後は碧海郡副郡長などを歴任しながら,排水計画の実現に努め,額田県・愛知県へ申請を続けたが,明治7(1874)年測量の結果,技術的に不可能と判断され,以後岡本兵松の用水計画と合体。同13年明治用水として完成した。<参考文献>『明治用水百年史』『上野町誌』

(林昌弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊予田与八郎」の解説

伊予田与八郎 いよだ-よはちろう

1822-1895 幕末-明治時代の治水家。
文政5年4月8日生まれ。養家は三河上野手永(愛知県岡崎市・豊田市)の代々の大庄屋。幕末に碧海(へきかい)・加茂一帯を開発するために矢作(やはぎ)川からの分水を計画。維新後岡本兵松(ひょうまつ)とともにその実現をはかり,明治12年着工。翌年完成させ,明治用水と命名された。明治28年2月27日死去。74歳。本姓は清水。

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