伊保(読み)いほ

日本歴史地名大系 「伊保」の解説

伊保
いほ

「播磨国風土記」印南いなみ大国おおくに里の条に、伊保山は仲哀天皇殯宮を定めようとして、神功皇后が石作連大来を率いてその場所を捜し求めていたところ、大来が見つけたので美保山というとある。ミホとイホは相通じたものか。天平一九年(七四七)二月一一日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(国立歴史民俗博物館蔵)に墾田地九九四町のうち「印南郡五町 伊保東松原」とある。曾根そね町の塩田しおた遺跡は縄文時代―平安時代の複合遺跡であるが、「伊保田司」と篦書のある円面硯や「三宅」「北家」などと記された墨書土器が出土しており、伊保の中心地であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報