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伊木三猿斎 いぎ さんえんさい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊木三猿斎 いぎ-さんえんさい

伊木忠澄(いぎ-ただずみ)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

大辞林 第三版の解説

いきさんえんさい【伊木三猿斎】

1818~1886) 幕末、岡山藩池田家の家老。名は忠澄。幕府の長州征伐に反対し藩主に調停を勧めた。茶・書画をよくした。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊木三猿斎
いきさんえんさい
(1818―1886)

幕末維新期、備前岡山藩池田家の筆頭家老。名は忠澄(ただずみ)。通称を長門(ながと)のち若狭(わかさ)と号す。三猿斎は茶号。土倉一静の三男で伊木家の養子となる。1854年(安政1)、房総半島南端鏡ヶ浦に配備され沿岸防衛にあたったが、陣中、半裸体の美人画を茶掛けにし、猪鍋(ししなべ)を出して西洋流の茶事を行った話は有名。幕府による長州征伐の不可を藩主に説いて調停を勧め、坂本龍馬(りょうま)、中岡慎太郎ら志士をかくまう。1871年(明治4)岡山藩大参事に任ぜられ、ついで辞す。1878年、士族授産のため児島(こじま)湾の干拓が始まった際、これに参画して伊木社をおこしたが失敗し、かえって財を失った。
 茶の湯を速水宗筧(はやみそうけん)に学び、のち玄々斎千宗室(げんげんさいせんのそうしつ)に傾倒した。邸内には利休堂のほか、各種茶席を設けていた。また天保(てんぽう)年間(1830~1844)采地(さいち)の邑久(おく)郡(岡山県瀬戸内市邑久町)に御庭窯(おにわがま)を開き、虫明(むしあけ)窯の名がある。明治19年3月没。遺言により利休木像を大徳寺に寄進、現在金毛閣上層に置かれている。墓は岡山市中区少林寺にある。[村井康彦]

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