士族授産(読み)しぞくじゅさん

精選版 日本国語大辞典 「士族授産」の意味・読み・例文・類語

しぞく‐じゅさん【士族授産】

〘名〙 明治維新後、常職を失った士族(旧武士)の救済を図るために、一時金の下付をはじめ、農工商への転職許可、官林・荒蕪地の低額払下げ、北海道移住奨励等、新政府の行なった一連施策をいう。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「士族授産」の意味・読み・例文・類語

しぞく‐じゅさん【士族授産】

秩禄処分によって職を失った士族の救済のためにとられた明治政府による一連の政策。農・工・商業への転職の推進、官林荒蕪こうぶ地の安価での払い下げ、北海道移住の奨励など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「士族授産」の意味・わかりやすい解説

士族授産
しぞくじゅさん

明治政府の士族政策。戊辰(ぼしん)戦争、版籍奉還以降、士族の家禄(かろく)(秩禄ともいう)は大きな変動を受けた。これは1876年(明治9)の金禄公債証書発行条例によって最終的に廃止されるが、これにより多くの士族は生活の基礎を失った。一方、士族は廃藩置県徴兵令の施行によって常職を失ったから、士族をなんらかの産業につかせ、その生活を維持させることが、社会不安を防ぐためにも必要であった。この政策を士族授産という。まず1871年に政府は華・士・卒に農・工・商の各業に従事することを許し、73年以降、家禄奉還者には就産資金を与え、土地の廉価払下げや北海道屯田兵への士族募集などの処置を講じたが、78年以後より大規模な授産政策を行うようになった。79年に計画された福島県安積(あさか)原野の国営開墾事業や、士族に交付した公債証書による国立銀行設置の奨励などはそれであるが、80年前後の反政府運動の激化への対策として、士族に対する勧業資本金の交付を拡大し、82年以降300余万円を支出し、その一部は北海道移住士族の保護にもあてられた。これらの授産政策の効果は、移住や蚕糸業に関するものを除けばみるべきものは少なかったが、間接的には近代産業の発達を助ける結果をもたらしている。80年代のうちに、士族問題は社会問題、政治問題としての重要性を失い、89年をもって授産政策もまた打ち切られた。

[永井秀夫]

『吉川秀造著『全訂改版 士族授産の研究』(1942・有斐閣)』『我妻東策著『明治社会政策史』(1940・三笠書房)』『我妻東策著『士族授産史』(1942・三笠書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「士族授産」の意味・わかりやすい解説

士族授産【しぞくじゅさん】

明治初期の廃藩置県徴兵令秩禄処分などで失職,困窮した士族に生計の途を図った政府の施策。開墾,農工商への就業奨励,起業資金の貸付などが行われたが,多くの士族は不慣れな仕事に失敗した(士族の商法)。しかし地方産業開発では一定の成果があり,栃木県の那須野原や福島県の郡山(こおりやま)盆地安積(あさか)原などの開拓,屯田兵などはこの施策による。
→関連項目笹森儀助士族反乱

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「士族授産」の意味・わかりやすい解説

士族授産
しぞくじゅさん

明治新政府が旧武士層の生活救済のために行なった施策。明治4 (1871) 年の廃藩置県以後,新政府では士族の俸禄を永続的に支給できないため,秩禄処分がたびたび論議されたが,政府はその経済的没落を黙視することができず,農業あるいは商業の道につかせようと種々の保護を与えた。 1873年の官林荒蕪地 (こうぶち) 払下規則をはじめ,屯田兵の奨励,起業公債発行条例などがその例である。しかし 76年,秩禄支給が打切られてからは,「士族の商法」の名のように一時金の投資や事業運営に失敗するものが多く,救済は成功しなかった。政府だけでなく,鹿児島の私学校など,各地で在野の士族授産も試みられている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「士族授産」の解説

士族授産
しぞくじゅさん

明治前期の士族救済政策。秩禄処分で士族に交付された金禄公債は少額であったうえにインフレのなかで目減りし,士族の困窮は士族反乱・自由民権運動対策としても放置できなくなった。大久保利通内務卿の「一般殖産及華士族授産ノ儀ニ付伺」を契機に,政府は1879年(明治12)以降,起業基金・勧業資本金・勧業委託金の相当部分を士族の産業従事に投じた。その交付総額は18万余戸に対して456万余円にのぼった。しかし成果のあがったのは,蚕糸業・雑工業・開墾の一部にとどまり,「士族の商法」といわれたように大部分の事業は失敗に終わり,貸与金のほとんどは90年に棄捐(きえん)された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典 第2版 「士族授産」の意味・わかりやすい解説

しぞくじゅさん【士族授産】

秩禄処分によって家禄収入を失った士族を産業につかせ,生活救済を図った明治政府の政策をいう。
[士族授産の前提]
 1869年(明治2)6月,維新政府は領主・公卿らを華族,諸藩の藩士・旧幕臣など従来の武士団を総称して士族,農工商身分の者を平民と称することとしたが,このころ約194万人(42万5000戸)を数えた士族の生活は一般に窮乏が進み,とくに旧幕臣や賊軍となった藩士のなかには,士族をやめ,農商などの職業につく者も少なくなかった。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「士族授産」の解説

士族授産
しぞくじゅさん

明治初期の士族救済政策
廃藩置県・徴兵令・秩禄処分などで失業し窮乏した士族の生活を救い,その反抗をやわらげるため,政府は北海道屯田兵 (とんでんへい) などの開墾移住や授産資金貸付けなどを進めた。士族の多くは農業や商工業に従事し,農業では成功する者もあったが,商工業では「士族の商法」と言われたように自負心だけ強く知識経験がないので大部分が失敗した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内の士族授産の言及

【授産所】より

…授産事業は,身体・精神上の理由や世帯の事情により就業能力に制約のある要保護者に対して,就労や技能修得に必要な便宜を与えて,その経済的自立と安定を援助する社会福祉事業である。明治期にすでに士族授産があり,大正期の授産事業は経済保護事業の重要な分野の一つであったが,第2次大戦後の授産事業は,とくに稼働能力をもちながら就労が困難な障害者に対する施策として,低所得者対策のなかの重要な位置を占めている。社会福祉事業に名を借りて税金のがれや中間搾取を行う不良な授産事業を防止するため,社会福祉事業法により,援産施設を経営する事業は,第一種社会福祉事業として,国・地方公共団体または社会福祉法人によらなければならないこととされている。…

※「士族授産」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

インボイス

送り状。船荷証券,海上保険証券などとともに重要な船積み書類の一つで,売買契約の条件を履行したことを売主が買主に証明した書類。取引貨物の明細書ならびに計算書で,手形金額,保険価額算定の基礎となり,輸入貨...

インボイスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android