伊津村
いつむら
稲富村の西に位置し、集落は伊津浦(現岩見港)周辺と峠の東側に展開する。「播磨国風土記」揖保郡浦上里の条にみえる御津は現在の岩見港に比定される。同書によると、神功皇后が御船を停泊したため名付けられたという。兵庫北関入船納帳によると、文安二年(一四四五)七月二日・一〇月三日・一一月一八日および一二月九日に奈良東大寺領兵庫北関(現神戸市兵庫区)に入港した船の船籍地のなかに「伊津」とある。文禄三年(一五九四)六月五日の小出吉政に宛てた豊臣秀吉知行方目録(金井文書)に井津村とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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