日本歴史地名大系 「伊礼村」の解説 伊礼村いりーむら 沖縄県:沖縄島中部北谷町伊礼村[現在地名]北谷町伊平(いへい)・上勢頭(かみせいど)桑江(くえー)村の北の沖積低地(伊礼原)に位置し、西は東シナ海に面する。北は徳(とうく)川を境に平安山(はんざん)村、東は御殿地(うどうんじ)・喜友名(ちゆんなー)・勝連(かつちん)の小屋取が点在する琉球石灰岩台地、南は奈留(なる)川、西は西海道(現国道五八号)が南北に通る。村の創設については一五世紀中期とする説、康熙一〇年(一六七一)とする説、一六七〇年代とする説の諸説がある(北谷村誌・北谷町史)。「琉球国由来記」に伊礼村とある。拝所には伊礼(いりー)之殿があり、麦・稲四祭には伊礼大屋子・百姓中が花米や神酒、五水を供えて平安山ノロが豊作を祈願した。近世期に伊礼前原(いりーめーばる)に伊礼小ヌ前(いりーぐわーぬめー)(上間兼久・上間)の屋取が、伊礼東原(いりーあがりばる)・伊礼油原(いりーあんだばる)・伊礼伊森原(いりーいーむいばる)に上勢頭(ういしーどう)の屋取が平安山村にまたがって形成された。 伊礼村いりーむら 沖縄県:沖縄島南部糸満市伊礼村[現在地名]糸満市伊原(いはら)石原(いさら)村の西に位置する。絵図郷村帳や琉球国高究帳に村名や高はみえず、「琉球国由来記」に摩文仁(まぶい)間切伊礼村とみえる。間切集成図には間切番所から喜屋武(ちやん)間切番所への宿道に沿って石原村と並んで集落が描かれている。宿道は当村の前を大きく南に迂回して喜屋武間切の福地(ふくじ)の馬場に至る。前掲由来記によれば伊礼ノロの崇所として上ムツコノ嶽・下ムツコノ嶽があり、年中祭祀として右二ヵ所の嶽々と伊礼巫火神で三月・八月に四度御物参の祈願、上ムンコ之殿で麦稲四祭が行われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by