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伊藤梅宇 イトウバイウ

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デジタル大辞泉の解説

いとう‐ばいう【伊藤梅宇】

[1683~1745]江戸中期の儒学者。京都の人。仁斎の次子。名は長英。歴史・有職(ゆうそく)故実に詳しかった。著「見聞談叢」など。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊藤梅宇 いとう-ばいう

1683-1745 江戸時代中期の儒者。
天和(てんな)3年8月19日生まれ。伊藤仁斎の次男。伊藤東涯の異母弟。父にまなび,宝永のころ周防(すおう)(山口県)徳山藩,享保(きょうほう)3年以降は備後(びんご)(広島県)福山藩の藩儒をつとめた。4年朝鮮通信使の接待役。延享2年10月28日死去。63歳。京都出身。名は長敦(ながあつ),のち長英。字(あざな)は重蔵。著作に「見聞談叢(けんもんだんそう)」「梅宇文稿」など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

伊藤梅宇

没年:延享2.10.28(1745.11.21)
生年:天和3.8.19(1683.10.9)
江戸中期の儒学者。名ははじめ長敦のち長英,字は重蔵。梅宇は号,諡号は康献先生。京都出身。父仁斎,母総の次男。父に古義学を学ぶ。宝永3(1706)年より仁斎を思慕していた周防国徳山藩主毛利元次から客分として禄を与えられ,正徳5(1715)年藩儒として徳山(山口県徳山市)へ赴任。享保1(1716)年毛利元次改易。翌々年,門岡惣介の世話で備後国福山藩儒(30人扶持)として福山(広島県福山市)に移り古義学を伝えた。主著『見聞談叢』は古義堂や当時の儒学界の事情を活写した興味深い文献。<参考文献>加藤仁平『伊藤仁斎の学問と教育』

(三宅正彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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