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徳山藩 とくやまはん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳山藩
とくやまはん

江戸時代,周防国 (山口県) 徳山地方を領有した藩。寛永 11 (1634) 年に長州藩毛利秀就から輝元の次男就隆 (なりたか) が4万 5000石を分与されたのに始る。最初は下松 (くだまつ) に立藩したが,慶安1 (48) 年に徳山に移った。享保1 (1716) 年3代元次のとき宗家8代吉元と不和となり除封されたが,同4年元次の子元堯 (もとたか) が吉元から3万石を分与されて再興。天保7 (1836) 年9代元蕃 (もとみつ) のとき宗家敬親 (たかちか) から1万石を分与されて4万石となり,明治4 (71) 年6月廃藩置県直前,宗家山口藩 (→長州藩 ) に合併された。外様,江戸城柳間詰。

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防府市歴史用語集の解説

徳山藩

 江戸時代の山口県に置かれた萩藩以外の小さな藩(支藩[しはん])の1つです。1617年に下松藩[くだまつはん]としてつくられましたが、後に徳山藩になりました。萩藩主・毛利秀就[もうりひでなり]の弟・毛利就隆[もうりなりたか]が初代の藩主となりました。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

とくやまはん【徳山藩】

江戸時代周防(すおう)国都濃(つの)郡徳山(現、山口県周南(しゅうなん)市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。長州藩の支藩の一つ。藩校は興譲館。1617年(元和(げんな)3)、毛利輝元(てるもと)の次男就隆(なりたか)が3万石を分与されて立藩。当初は下松(くだまつ)藩と称し、34年(寛永(かんえい)11)に幕府公認の藩となったが、50年(慶安3)就隆が藩庁を下松から野上(のがみ)に移し、野上を徳山と地名変更して以降、徳山藩と称するようになった。3代元次(もとつぐ)のとき、松の木の伐採をめぐり本藩ともめて1716年(享保(きょうほう)1)に改易(かいえき)されたが、19年に再興された。8代広鎮(ひろしげ)の子の元徳(もとのり)が本藩を継いだことなどから、廃藩に先立ち1871年(明治4)に本藩の長州藩(山口藩)に合併した。◇下松藩ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

とくやまはん【徳山藩】

江戸時代,周防国(山口県)都濃(つの)郡徳山を中心に郡の南部と阿武郡の一部2ヵ村を領域とする萩藩(長州藩)支藩の一。毛利輝元の第2子就隆(なりたか)が藩主の始祖。1617年(元和3)慶長検地高の3万1400余石を内証分知され,34年(寛永11)幕府の公認により藩に列した。公称石高は4万10石。廃藩のころの実高は6万9000余石とされる。萩本藩の公称36万余石の割合では2万500余石。毛利家の家譜類では徳山藩の石高を4万5000石とし,《武鑑》では1835年(天保6)までは3万石,翌年以降は4万10石としている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳山藩
とくやまはん

長州藩(山口)毛利(もうり)氏の支藩の一つ。周防(すおう)国(山口県南東部)都濃(つの)郡24か村、熊毛(くまげ)郡1か村、佐波(さば)郡1か村、長門(ながと)国(山口県北西部)阿武(あぶ)郡2か村を領有した。毛利輝元(てるもと)の二男就隆(なりたか)を祖とし、1617年(元和3)に3万石の分与を受け、34年(寛永11)に幕府によって諸侯に列せられた(下松(くだまつ)藩)。就隆は最初、都濃郡下松に居館を構えたが、交通の便から同郡野上(のがみ)に移って城下町を整備するとともに、1650年(慶安3)に地名を徳山と改めた。以降徳山藩を称するようになった。知行高(ちぎょうだか)は寛永(かんえい)検地で4万0010石となったが、宗(そう)藩から幕府への届出は4万5000石となり、これが公称高となった。3代元次(もとつぐ)の1716年(享保1)には、境界のもつれから宗藩との間に不和を生じ、ついには徳山藩の断絶にまで発展し、領地の宗藩への没収とともに、元次は出羽(でわ)国新庄(しんじょう)藩(山形県新庄市)へ預けられた。藩の再興が許されたのは1719年で、嫡子元堯(もとたか)に改めて3万石が分与された。その後、1836年(天保7)に1万0010石の加増をもって城主格の待遇を幕府から認知された。
 産業としては造紙業があり、山間部の須万(すま)村と5か村(大向(おおむかい)、大道理(おおどうり)、川曲(かわまがり)、四熊(しくま)、上村(かみむら))を主要産地とし、年貢に紙を納める請紙(うけがみ)制を採用するとともに、その保護育成に努めた。瀬戸内側では塩田も発達し、紙とともに主要な産業であった。歴代藩主は、就隆、元賢(もとかた)、元次、元堯、広豊(ひろとよ)、広寛(ひろとも)、就馴(たかよし)、広鎮(ひろしげ)、元蕃(もとみつ)。広鎮の子元徳(もとのり)が宗藩を継いだこともあって、廃藩に先だち1871年(明治4)長州藩に合併した。[吉本一雄]

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