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徳山藩 とくやまはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳山藩
とくやまはん

江戸時代,周防国 (山口県) 徳山地方を領有した藩。寛永 11 (1634) 年に長州藩毛利秀就から輝元の次男就隆 (なりたか) が4万 5000石を分与されたのに始る。最初は下松 (くだまつ) に立藩したが,慶安1 (48) 年に徳山に移った。

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防府市歴史用語集の解説

徳山藩

 江戸時代の山口県に置かれた萩藩以外の小さな藩(支藩[しはん])の1つです。1617年に下松藩[くだまつはん]としてつくられましたが、後に徳山藩になりました。萩藩主・毛利秀就[もうりひでなり]の弟・毛利就隆[もうりなりたか]が初代の藩主となりました。

出典|ほうふWeb歴史館
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藩名・旧国名がわかる事典の解説

とくやまはん【徳山藩】

江戸時代周防(すおう)国都濃(つの)郡徳山(現、山口県周南(しゅうなん)市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。長州藩の支藩の一つ。藩校は興譲館。1617年(元和(げんな)3)、毛利輝元(てるもと)の次男就隆(なりたか)が3万石を分与されて立藩。当初は下松(くだまつ)藩と称し、34年(寛永(かんえい)11)に幕府公認の藩となったが、50年(慶安3)就隆が藩庁を下松から野上(のがみ)に移し、野上を徳山と地名変更して以降、徳山藩と称するようになった。3代元次(もとつぐ)のとき、松の木の伐採をめぐり本藩ともめて1716年(享保(きょうほう)1)に改易(かいえき)されたが、19年に再興された。8代広鎮(ひろしげ)の子の元徳(もとのり)が本藩を継いだことなどから、廃藩に先立ち1871年(明治4)に本藩の長州藩(山口藩)に合併した。◇下松藩ともいう。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

とくやまはん【徳山藩】

江戸時代,周防国(山口県)都濃(つの)郡徳山を中心に郡の南部と阿武郡の一部2ヵ村を領域とする萩藩(長州藩)支藩の一。毛利輝元の第2子就隆(なりたか)が藩主の始祖。1617年(元和3)慶長検地高の3万1400余石を内証分知され,34年(寛永11)幕府の公認により藩に列した。公称石高は4万10石。廃藩のころの実高は6万9000余石とされる。萩本藩の公称36万余石の割合では2万500余石。毛利家の家譜類では徳山藩の石高を4万5000石とし,《武鑑》では1835年(天保6)までは3万石,翌年以降は4万10石としている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳山藩
とくやまはん

長州藩(山口)毛利(もうり)氏の支藩の一つ。周防(すおう)国(山口県南東部)都濃(つの)郡24か村、熊毛(くまげ)郡1か村、佐波(さば)郡1か村、長門(ながと)国(山口県北西部)阿武(あぶ)郡2か村を領有した。毛利輝元(てるもと)の二男就隆(なりたか)を祖とし、1617年(元和3)に3万石の分与を受け、34年(寛永11)に幕府によって諸侯に列せられた(下松(くだまつ)藩)。就隆は最初、都濃郡下松に居館を構えたが、交通の便から同郡野上(のがみ)に移って城下町を整備するとともに、1650年(慶安3)に地名を徳山と改めた。以降徳山藩を称するようになった。知行高(ちぎょうだか)は寛永(かんえい)検地で4万0010石となったが、宗(そう)藩から幕府への届出は4万5000石となり、これが公称高となった。3代元次(もとつぐ)の1716年(享保1)には、境界のもつれから宗藩との間に不和を生じ、ついには徳山藩の断絶にまで発展し、領地の宗藩への没収とともに、元次は出羽(でわ)国新庄(しんじょう)藩(山形県新庄市)へ預けられた。藩の再興が許されたのは1719年で、嫡子元堯(もとたか)に改めて3万石が分与された。その後、1836年(天保7)に1万0010石の加増をもって城主格の待遇を幕府から認知された。
 産業としては造紙業があり、山間部の須万(すま)村と5か村(大向(おおむかい)、大道理(おおどうり)、川曲(かわまがり)、四熊(しくま)、上村(かみむら))を主要産地とし、年貢に紙を納める請紙(うけがみ)制を採用するとともに、その保護育成に努めた。瀬戸内側では塩田も発達し、紙とともに主要な産業であった。歴代藩主は、就隆、元賢(もとかた)、元次、元堯、広豊(ひろとよ)、広寛(ひろとも)、就馴(たかよし)、広鎮(ひろしげ)、元蕃(もとみつ)。広鎮の子元徳(もとのり)が宗藩を継いだこともあって、廃藩に先だち1871年(明治4)長州藩に合併した。[吉本一雄]

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