伊藤為吉(読み)イトウ タメキチ

20世紀日本人名事典 「伊藤為吉」の解説

伊藤 為吉
イトウ タメキチ

明治〜昭和期の建築家,発明家



生年
元治1年(1864年)

没年
昭和18(1943)年5月

出生地
三重県松阪市

経歴
明治15年上京、尾崎行雄家の書生をしながら工部大学の自由研究生として機械学を学んだ。18年渡米、建築実務を学んで21年帰国。ドライ・クリーニングや種々の事業を手掛けた後、伊藤組工作所を設立、独自の耐震家屋設計、施工に従事した。郡司大尉の千島探検用に耐寒組立家屋を造ったり、鉄筋コンクリートの万代塀など発明的な建造物を手がけた。42年には職工教育実施会を設け、職工軍団を編成、建築労働者の地位と品位向上を図った。晩年大阪に研究所を設け、耐震家屋の普及に努め、永久機関の発明に心血をそそいだ。伊藤道郎、熹朔、千田是也ら兄弟の父。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤為吉」の解説

伊藤為吉 いとう-ためきち

1864-1943 明治-昭和時代前期の建築家,発明家。
文久4年1月17日生まれ。伊藤道郎(みちお),伊藤熹朔(きさく),千田是也(せんだ-これや)の父。工部大学校の自由研究生として機械学を,明治18年渡米して建築の実務をまなぶ。帰国後,伊藤組工作所を設立。教会建築,耐震住宅の設計,建築労働者の教育などを手がける。晩年は永久動力機関の研究にうちこんだ。昭和18年5月9日死去。80歳。伊勢(いせ)(三重県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android