伊藤道郎(読み)いとうみちお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊藤道郎
いとうみちお

[生]1893.4.13. 東京
[没]1961.11.3. 東京
舞踊家。 1911年に渡欧し,ドレスデン郊外で J.ダルクローズのリズム体操学校の祭典を見て感激,ただちに入学し,2年間学んだ。 14年,ロンドンでオペラ『ラクメ』の舞曲を踊って脚光を浴び,16年に渡米,ニューヨークで春秋2回のリサイタルを開催し,のちには俳優学校を経営した。 41年,日米開戦後に帰国し,戦後は東京で舞踊研究所を設立。のちにはファッションモデルの養成などにも尽力した。舞台美術家伊藤熹朔演出家千田是也の兄にあたる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊藤道郎 いとう-みちお

1893-1961 大正-昭和時代の舞踊家。
明治26年4月14日生まれ。伊藤為吉の長男。伊藤熹朔(きさく),千田是也(これや)の兄。大正元年ドイツのダルクローズ研究所に留学,リトミックをまなぶ。5年ロンドンでイエーツの「鷹(たか)の井戸」を演出後,渡米し,舞踊学校を経営した。昭和18年帰国して舞踊研究所を開設。戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)の監督をつとめた。昭和36年11月6日死去。68歳。東京出身。慶応義塾普通部卒。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊藤道郎
いとうみちお
(1893―1961)

舞踊家。東京生まれ。初めは声楽家志望で三浦環(たまき)に師事し、1911年(明治44)帝国劇場歌劇部の『釈迦(しゃか)』で初舞台。翌年19歳で渡欧し、ダルクローズ・リズム体操学校に入学、初の東洋人生徒であった。第一次世界大戦直前にロンドンに渡り、イェーツ作の『鷹(たか)の井戸』を舞踊化し脚光を浴びた。16年渡米、のちにハリウッドで舞踊学校を経営。43年(昭和18)帰国。第二次大戦後は駐留軍のためのアーニーパイル劇場で芸術監督を務めた。門下生の真木竜子が作品を継承している。舞台装置家伊藤熹朔(きさく)、演出家千田是也(これや)の長兄である。[市川 雅]

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世界大百科事典内の伊藤道郎の言及

【ジャック・ダルクローズ】より

…ヘレラウで学んだウィグマンは〈ノイエ・タンツ〉の創始者になり,ニジンスキーも創作の上で示唆を受けた。日本への影響は大きく,ヘレラウで学んだ伊藤道郎をはじめ,草創期の洋舞家の多くがリトミックを取り入れた。学校教育の面では小林宗作が成城学園,トモエ学園で実践し,現在立川学園(岡田純子)や国立音楽大学(板野平)などがこれを推進している。…

※「伊藤道郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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