改訂新版 世界大百科事典 「伊豆長八」の意味・わかりやすい解説
伊豆長八 (いずのちょうはち)
生没年:1815-89(文化12-明治22)
幕末から明治にかけての左官。本姓上田,のちに入江。10代目播磨屋金兵衛とも名のり,晩年は天祐,乾道と号した。伊豆松崎村(現,静岡県賀茂郡松崎町)の農家に生まれ,12歳ごろ同郷の左官頭領関仁助に弟子入りし,20歳ごろに江戸へ出た。左官技術を磨くかたわら,谷文晁の高弟喜多武清や狩野派に絵を学んだといわれ,しっくいによるレリーフに色彩を施した鏝絵(こてえ)を大成させた。30歳を過ぎて松崎へ帰り,菩提寺である浄感寺本堂に〈八方にらみの竜〉や〈飛天〉の鏝絵を残した。ふたたび江戸へ出て浅草観音堂や目黒祐天寺に作品を残したといわれ,1877年の第1回内国勧業博覧会に出品し,絵画にも優れると賞された。また松崎に80年完成した旧岩科学校(重文)におけるしっくい壁,木彫も長八の作品といわれ,擬洋風建築の中で果たした伝統的技法の役割の一端を如実に示している。現在浄感寺内に長八記念館がある。
執筆者:編集部
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報