デジタル大辞泉
「入江長八」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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入江長八 いりえ-ちょうはち
1815-1889 江戸後期-明治時代の鏝(こて)絵師。
文化12年8月5日生まれ。伊豆(いず)松崎村(静岡県)の農家の出身。20歳ごろ江戸に出,左官業のかたわら喜多武清に絵をまなぶ。漆喰(しっくい)の浮き彫りに彩色した鏝絵を大成。茅場町(かやばちょう)薬師堂の装飾で名をあげた。郷里や江戸の諸寺で制作し,明治10年内国勧業博覧会で受賞。明治22年10月8日死去。75歳。通称は伊豆長八,江竹長八。号は乾道,天祐。代表作は静岡県松崎町浄感寺の本堂鏝絵。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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入江 長八 (いりえ ちょうはち)
生年月日:1815年8月5日
江戸時代;明治時代の左官
1889年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の入江長八の言及
【伊豆長八】より
…幕末から明治にかけての左官。本姓上田,のちに入江。10代目播磨屋金兵衛とも名のり,晩年は天祐,乾道と号した。伊豆松崎村(現,静岡県賀茂郡松崎町)の農家に生まれ,12歳ごろ同郷の左官頭領関仁助に弟子入りし,20歳ごろに江戸へ出た。左官技術を磨くかたわら,谷文晁の高弟喜多武清や狩野派に絵を学んだといわれ,しっくいによるレリーフに色彩を施した鏝絵(こてえ)を大成させた。30歳を過ぎて松崎へ帰り,菩提寺である浄感寺本堂に〈八方にらみの竜〉や〈飛天〉の鏝絵を残した。…
※「入江長八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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