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伊達宗勝 だて むねかつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊達宗勝 だて-むねかつ

1621-1680* 江戸時代前期の大名。
元和(げんな)7年3月生まれ。伊達政宗(まさむね)の子。万治(まんじ)3年陸奥(むつ)一関(いちのせき)藩(岩手県)3万石の藩主となる。幼少の陸奥仙台藩主伊達亀千代(綱村)の後見役として原田甲斐(かい)と宗藩の藩政を支配。寛文11年伊達騒動の責任をとわれ,土佐高知藩主山内家にあずけられた。延宝7年12月4日死去。59歳。通称は兵部。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

伊達宗勝

没年:延宝6.12.4(1679.1.16)
生年:元和7(1621)
江戸時代初期の仙台藩祖政宗の10男。生母は多田吉広娘(法性院)。幼名千勝丸,のち兵部。正保2(1645)年従五位下兵部少輔。万治1(1658)年将軍徳川家綱より江戸屋敷を賜り,藩主綱宗より7000石加増,1万5810石を知行。3年藩主となった亀千代(綱村)幼少により田村宗良と共に後見役,内分大名となり,かねてより知行地があり,社寺堂宇の開基などにもなっている一関で3万石を領す。寛文11(1671)年4月,いわゆる「伊達騒動」で罪を得て土佐(高知県)山内家に預けられ,高知城下西北郊小高坂に謫居。『仙台近古史談』は,「性奸巧常に大国に生れ英嗣たること克はざるを憾む」と評している。一方では,兵部自身には特に「悪心」はなく側近が兵部の権力を背景に政治を壟断したとの見方もある。このほか,長男東市正宗興は豊前小倉小笠原家,次男虎之助および娘2人は一門岩出山伊達氏,宗興の妻子は一門石川氏次いで伊予吉田伊達家にお預けとなった。

(齋藤鋭雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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