仙台藩奉行(家老)。伊達騒動(寛文事件)で有名。名は宗輔。知行地4183石で宿老の家柄に生まれ,1648年(慶安1)評定役,63年(寛文3)奉行に進む。幼君亀千代の後見として専権を振るう一門伊達兵部少輔宗勝と結び,伊達安芸宗重らの門閥・家臣団,他の奉行と対立した。政争は拡大し幕府への出訴となり,敗訴が決定的となった3月27日大老酒井忠清邸で安芸を斬り,みずからも斬られた。
執筆者:難波 信雄
伊達騒動は実録本や講釈に文芸化され,なかでも実録本《伊達厳秘録》(宝暦(1751-64)ごろ成立か)が著名。原田甲斐は伊達兵部と共謀し,主君を淫蕩に陥れ隠居させ,若君を毒殺して家を押領しようと謀る悪人として描出された。浄瑠璃・歌舞伎劇では〈東山〉(室町時代)に置き換え〈伊達騒動物〉の系統を形成,甲斐は貝田勘解由,また仁木弾正左衛門直則などの名に仮託され,奸臣役の典型(実悪(じつあく))として演じられた。《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》の〈床下(ゆかした)・評定所対決・刃傷〉における演技は5世松本幸四郎が好演し,後世に大きく影響を与えた。明治以降,実録の劇化が行われたが,多くは悪人甲斐の類型を出なかった。以後,真山青果の《原田甲斐》(1931初演。再演以来改稿して《原田甲斐の最期》),宇野信夫の《原田甲斐》(1950初演),また小説では山本周五郎の《樅(もみ)の木は残った》(1956)が,寛文事件と人間甲斐を描く意図で,それぞれ成功をみた。
執筆者:小池 章太郎
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仙台藩初期の奉行(ぶぎょう)。伊達(だて)騒動(寛文(かんぶん)事件)で著名。名は宗輔(むねすけ)。家老の家柄(知行地(ちぎょうち)4383石)に生まれる。1648年(慶安1)評定役(ひょうじょうやく)、63年(寛文3)奉行となる。甲斐は、幼君亀千代(かめちよ)(4代綱村)の後見として専権を振るう一門伊達兵部宗勝(ひょうぶむねかつ)と結び、門閥・家臣を代表する他の奉行伊達安芸宗重(あきむねしげ)らと対立した。政争は所領の境争いも絡み、幕府への出訴に発展したが、71年(寛文11)3月27日、甲斐は大老酒井忠精(ただきよ)邸で安芸を斬(き)り、自らも討たれ、原田家は断絶した。
[横山昭男]
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