会田雄次(読み)アイダ ユウジ

20世紀日本人名事典 「会田雄次」の解説

会田 雄次
アイダ ユウジ

昭和・平成期の評論家 京都大学名誉教授



生年
大正5(1916)年3月5日

没年
平成9(1997)年9月17日

出生地
京都府京都市

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部史学科西洋史専攻〔昭和15年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和37年〕

主な受賞名〔年〕
京都市文化功労者〔昭和63年〕

経歴
神戸大学助教授を経て、昭和27年京都大学人文科学研究所助教授、39年教授。54年より名誉教授。ビルマでの2年間の捕虜体験を通じて西洋文明批判を書いた「アーロン収容所」が、戦後ベストセラーとなり、38〜39年「読売新聞」に連載された「男性的家庭論」で評論家としての地位確立。ほかに「ミケランジェロ」「日本人の意識構造」「逆説論理」「歴史を変えた決断の瞬間」「氷雪の時代」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「会田雄次」の解説

会田雄次 あいだ-ゆうじ

1916-1997 昭和後期-平成時代の西洋史学者,評論家。
大正5年3月5日生まれ。神戸大助教授などをへて,昭和39年京大人文科学研究所教授。専攻はルネサンス文化史。第二次大戦中のビルマでの捕虜体験をもとに37年「アーロン収容所」を刊行。のち家庭論,日本人論などの評論家として活躍。平成9年9月17日死去。81歳。京都出身。京都帝大卒。著作に「ルネサンスの美術と社会」「日本人の意識構造」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「会田雄次」の解説

会田 雄次 (あいだ ゆうじ)

生年月日:1916年3月5日
昭和時代;平成時代の歴史学者
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の会田雄次の言及

【背】より

…異形の背中の例は,中世の博物学的著作にも見え,頭がなくてその目,鼻,口が背中か胸についている部族の話(トマ・ド・カンタンプレ《万象論》)とか,イルカの双眼は背中にあるが口は腹にある(マイデンバハ《健康の園》)など荒唐無稽なものがある。 会田雄次は,子どもの危険に際して親のとる行動と姿勢が欧米人と日本人とは異なると述べる(《日本人の意識構造》)。すなわち,欧米人の多くは子どもを背後にはねのけて,仁王立ちになって危険に直面するが,日本人は老若男女の別なく,子を抱きしめて背を向け,うずくまると。…

※「会田雄次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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