日本歴史地名大系 「伝名和氏屋敷跡」の解説
伝名和氏屋敷跡
でんなわしやしきあと
名和長年(初名長高)およびその一族については確実な史料が乏しく、その実態は明らかでない。「伯耆之巻」や続群書類従本「名和系図」は村上天皇の流れをくむとするが不詳。後醍醐天皇が隠岐島を脱出して、伯耆国の住人名和長年を頼ったのは、元弘三年(一三三三)閏二月二四日とされる(皇年代略記)。名和長年は「其身指テ名有ル武士ニテハ候ハネ共、家富一族広シテ、心ガサアル者」で(「太平記」巻七先帝船上臨幸事)、一族が多く経済力もあり思慮深い武士であったという。「梅松論」には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報