日本歴史地名大系 「伝源範頼館跡」の解説 伝源範頼館跡でんみなもとののりよりやかたあと 埼玉県:比企郡吉見町御所村伝源範頼館跡[現在地名]吉見町御所御所(ごしよ)の東端、荒川沖積地を東に望む吉見台地上にあり、西方背後には吉見観音安楽(あんらく)寺がある吉見丘陵が迫る。吉見岩殿山略縁起(安楽寺文書)によると、源範頼は平治の乱後、吉見観音の稚児僧として当地に潜居、この範頼の館跡が現在の息障(そくしよう)院境内であると伝える。また、吉見系図(諸家系図纂)・「尊卑分脈」などによると吉見氏は範頼の子範円に始まり、以後代々吉見氏が当館跡に住したとも伝えられる。吉見氏は鎌倉時代、当館に拠って吉見(横見)郡一帯に勢力を振るったといい、「吾妻鏡」によると文治三年(一一八七)畠山重忠から召上げた伊勢国沼田(ぬまた)御厨が吉見次郎頼綱に与えられている(同年一〇月一三日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by