御所村(読み)ごしよむら

日本歴史地名大系 「御所村」の解説

御所村
ごしよむら

[現在地名]吉見町御所

和名わな村の北東、吉見丘陵と東部低地が交わる所に位置する。かつては北の黒岩くろいわ村と一村であったが、正保―元禄期(一六四四―一七〇四)の間に分村したとみられる。また古くは岩殿いわどの村と称していたという(「郡村誌」など)。地内に源範頼・吉見氏累代が住したと伝える館跡があり、この居館が吉見の御所といわれたことが地名の由来という(「吉見岩殿山略縁起」安楽寺文書)。御所古墳群・稲荷前いなりまえ遺跡(集落跡)などがあり、文保元年(一三一七)から宝徳元年(一四四九)に至る一二基の板碑が確認されている。


御所村
ごしよむら

[現在地名]上田市大字御所

上田城下を流れる千曲川の対岸(南岸)の村。東と南は諏訪形すわがた村、西は中之条なかのじよう村、北は千曲川を隔てて上田城下と境をなす。

古くは上条とよばれたと考えられている。それは天正六年(一五七八)二月の上諏訪造宮帳(諏訪大社上社文書)に、「二之御柱小県郡小泉郷(中略)上田原郷弐貫百卅文、下条之郷仁貫二百文、上畠之郷八百十二文、中条之郷四貫四百八十文、上之条郷五貫文、小槇之郷壱貫四百文」と記され、慶長一三年(一六〇八)一一月、真田氏の上田領内村々貫高帳にも諏方かた・中上条・中之条・下之条・上田原・築地・神畑の順で村高を記しているから、現在の集落配置と合わせ考え、「上之条」「中上条」は、後の御所村をよんだものであろう。


御所村
ごしよむら

[現在地名]金沢市御所町・御所町一丁目・大樋町おおひまち

小坂こさか村の南東金腐かなくさり川上流右岸に位置。五所とも記した(高免付給人帳など)。村名は南北朝期の大納言二条師基の館があったとの伝承にちなむ。丘陵尾根筋にある御所八ごしよやづか古墳群は二条師基の子息の墓と伝えられ、かつては「八つ塚」とよばれており、麓には天台宗香隆寺跡があったという(加賀志徴)。平成元年(一九八九)の調査以前には円墳五基・方墳四基の計九基からなるとされたが、同年の調査で全長五〇―六〇メートルの前方後円墳を含む八基が確認されている。


御所村
ごせむら

[現在地名]かつらぎ町御所

星山ほしやま村の西にあり、西は麻生津おうづ峠を経て赤沼田あかんた(現那賀郡那賀町)。天正一九年(一五九一)一〇月日付の高野山寺領注文(勧学院文書)に「四村内」として御所がみえ、高野山領六箇七ろつかしち郷の四村よむらに属していた。江戸時代は高野山学侶領で、「続風土記」には「吾志与ごしよ」の訓注があり、村高一一九石余、家数三三、人数一五四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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