伯太藩陣屋跡(読み)はかたはんじんやあと

日本歴史地名大系 「伯太藩陣屋跡」の解説

伯太藩陣屋跡
はかたはんじんやあと

[現在地名]和泉市伯太町四丁目

信太山しのだやま丘陵中腹にあり、陣屋を取囲むように家臣団の屋敷が立並んでいた(伯太陣屋図「和泉市史」所載)。藩主渡辺基綱が居所を伯太に定めたのは享保一二年(一七二七)のことであるが、和泉との関係は二代前の吉綱(側用人)が寛文元年(一六六一)大坂定番に就任し、河内・和泉両国において一万石を加増(計一万三千五〇〇石)された時に始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む