日本歴史地名大系 「黒鳥村」の解説
黒鳥村
くろどりむら
伯太村南方の平坦地にある。
〔中世〕
古代の和泉郡
正中二年(一三二五)上泉庄梨子本里地頭藤原資員は、仁治元年(一二四〇)の六波羅下知状を確認して、梨子本里内山野一八町と白木谷池(白木池)六底が今後とも安明寺の管領であることを認め、地頭として違乱しないことを約した(正中二年三月二二日「地頭藤原資員下知状案」立石家文書)。元徳二年(一三三〇)前述山野と白木池について本主の儀善房から安明寺へ宛行状が出されている(同年四月二三日「上泉庄梨子本里山野等宛行状」同文書)。白木池はこれよりさき正和四年(一三一五)に勧進聖仏阿が、梨子本里の百姓に協力を求めて修固したが、このおり、百姓たちは、用水利用について権門勢家を問わず私の取水・排水を認めないという条件を求め、梨子本里地頭がこれを承認している(同年九月二一日地頭藤原某下文)。
黒鳥村
くろどりむら
黒鳥村
くろとりむら
黒鳥村
くろどりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報