佐々木禎子さんの折り鶴

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佐々木禎子さんの折り鶴

1945年8月6日、2歳の時に広島で被爆した佐々木禎子ささき・さだこさんは10年後に白血病発症。回復を願い病床で鶴を折り続けたが、入院から8カ月後、12歳で亡くなった。原爆犠牲となった全ての子どもを追悼しようと同級生らが呼びかけ、禎子さんをモデルとした「原爆の子の像」が広島市の平和記念公園に建てられた。エピソードは本や映画などで国内外に広がり、折り鶴は平和や非核を先導する被爆者運動のシンボルになった。遺族は「平和の架け橋に」と遺品の折り鶴を米ハワイ真珠湾の施設など国内外に寄贈した。(共同)

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