日本歴史地名大系 「佐女牛井町」の解説
佐女牛井町
さめがいちよう
南北に通る
平安京の条坊では左京六条二坊三保一二町西側、平安中期以降は六条堀川小路東北にあたる。平安後期、当町には、源氏累代の居所である
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「佐目界丁」とあり、寛文(一六六一―七三)頃までの中井家系を主とする筆描絵図類にも「さめかい丁」とみえる。一方、寛永一八年以前平安城町並図には「さめかいの水町」とあり、町鑑や版行絵図類でも、寛文五年刊「京雀」から宝暦四年(一七五四)再版名所手引京図鑑綱目あたりまでこの異称がみえ、筆描絵図類でも元禄末期洛中絵図や天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図では「醒井水丁」とあるが、宝暦一二年刊「京町鑑」では「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報