日本歴史地名大系 「堀川通」の解説
堀川通
ほりかわどおり
平安京開設時に開かれた堀川小路にほぼ該当。上・中・下京を南北に貫通。「坊目誌」は「北を堀川頭と称す。愛宕郡大宮村字雲林院境に起り、八条坊門に至る。(中略)一条以北は建久以来の開通にして、文明以後街衢の異動あり。五条以南は天正十九年本圀寺の再建・本願寺の建立に際し、道路を閉塞し、且つ河川の流域に異動するあり。其北に於て河流を挟んで東西に堀川を称す」と記す。
平安時代には、堀川の川幅は四丈(約一二メートル)とかなり広く、平安京建設時に物資運送用水路として利用され、天長一〇年(八三三)には、左右両京の京戸に、東西堀川杭料として檜柱一万五千株を賦課している(続日本後記)。
その堀川の両側に通されたのが堀川通で、各々東堀川・西堀川と称されたが、本通には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報