佐屋村
さやむら
[現在地名]佐屋町佐屋
東は須賀村、西は山路村(現立田村)に接する。佐屋宿・佐屋御殿・佐屋代官所・佐屋湊などで知られた当村も、宿駅となるまでは独立した村でなく、のちに内佐屋とよぶ村の一枝郷であった。元和元年(一六一五)四月一五日の「台徳院殿御実紀」に「大御所も名古屋を出まし、佐屋より御乗船にて桑名につかせらる」とみえる。慶長一三年(一六〇八)尾張検地には佐屋の名はない。寛永一一年(一六三四)隣村依田村・須賀村の二村を併せた佐屋宿が生れてしだいに大きくなり、藩制のうえでは代官所のある佐屋を外佐屋とよび区別した。
「徇行記」によれば、概高一〇七石余はすべて蔵入地だが、佐屋村即佐屋宿・佐屋湊のため、その助成として六条新田村(現十四山村)一千四三〇石余が佐屋村分という特殊な村。
佐屋村
さやむら
[現在地名]芳井町佐屋
種村の北西に位置し、北は二箇村(現川上郡川上町)、南は池谷村。北接する二箇村のうちにも佐屋という地域がある。「後月郡誌」によれば、当村と二箇村の手佐屋耕地とは一村を形成していたが、天正年中(一五七三―九二)の毛利検地のとき、郡境を明確にするため二分して北部を手佐屋村に定めたと伝える。元和元年(一六一五)以降摂津国麻田藩領であったと思われる(「寛政重修諸家譜」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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