後月郡(読み)しつきぐん

日本歴史地名大系 「後月郡」の解説

後月郡
しつきぐん

面積:八〇・八〇平方キロ
芳井よしい

県の南西部に位置する。かつての後月郡のうち南半が井原市域となったために、芳井町のみで構成され、東は小田おだ郡、北は川上かわかみ郡、南は井原市、西は広島県に接する。近世には北は川上郡、東と南は小田郡に囲まれ、西は備後国であった。全域がほぼ小田川およびその支流の流域で、現芳井町域を中心とした北部は吉備高原に属し標高三〇〇―六〇〇メートルの高地、南の現井原市を中心とした地域は小田川中流域の平地ならびに標高一〇〇メートル前後の低丘陵地帯である。「和名抄」東急本の訓は「七豆木」。「延喜式」武田家本(神名帳・民部省)は「シツキ」、九条家本(兵部省)は「シチツキ」の訓を付す。以後の記述では、井原市が成立する以前の旧後月郡域を対象とする。

〔原始・古代〕

小田川右岸域の井原市木之子きのこ町ではサヌカイト製石鏃が出土、同市木之子町・東江原ひがしえばら町などからは弥生式土器も出土している。同市笹賀ささが金敷寺裏山かなしきでらうらやま遺跡の弥生墳丘墓も旧後月郡域の注目すべき遺跡である。

「和名抄」によれば、当郡は荏原えはら県主あがた出部いずべ足次あしき駅家うまやの五郷で(高山寺本は駅家郷を欠く)、令制の区分では下郡である。「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条に「備後国後城屯倉」の記載があり、通説では備後を備中の誤りとして同屯倉を当郡内に求め、芳井町の上鴫かみしぎ・下鴫(大日本地名辞書)や井原市高屋たかや町の後月谷しつきだに(小寺清之「老牛余喘」)などに比定する説もあるが、正確なことは不明。また「国造本紀」にみえる「吉備中県国造」の本拠を県主郷に求める説もあるが不明とすべきである。このほか「古事記」応神天皇段などにみえる志理都紀斗売しりつきとめと当郡の関係を考えようとする説(「大日本地名辞書」「岡山県通史」など)もあるが、信憑性に欠ける。

当郡に関係する確実な初見史料は、藤原宮跡から出土した木簡で、「□後木評」とあり、評が大宝令制施行(七〇二)以前の郡の用字であること、その後の郡名に後木(しつき)は当郡にしかみられないことから、国名を欠くが当郡のものとみることができ、大宝令施行以前に独立の地方行政の基礎単位となっていたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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