朝日日本歴史人物事典 「佐川田昌俊」の解説
佐川田昌俊
生年:天正7(1579)
江戸初期の歌人。本姓高階,通称喜六。号黙々,壺斎,不二山人など。下野早川田村生まれ。越後の武将木戸元斎の養子となる。和歌,連歌の手ほどきはまずこの養父から受けたらしい。元斎没後浪々の身となるが,永井直勝に見出され,次の尚政の代には和歌・連歌の両面で活躍し,林羅山,松花堂昭乗,小堀遠州らとの交渉繁く,近世初期を代表する文人のひとりとなる。特に「吉野山花待つ頃の朝な朝な心にかかる峰の白雲」の詠は人口に膾炙した。<参考文献>渡辺憲司「佐河田昌俊の前半生について」(『近世文芸』31号),同「佐川田昌俊と永井家の周辺」(『立教大学日本文学』67号)
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報