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佐川田昌俊 さがわだ まさとし

美術人名辞典の解説

佐川田昌俊

江戸前期の歌人。下野生。木戸玄斎の養子。姓は高階、通称は喜六、号は壺斎・黙々翁等。永井尚政の家臣。飛鳥井雅庸近衛信尋等に歌道を学ぶ。また茶道を能くし、小堀遠州に就き蘊奥を極める。林羅山・木下長嘯子・松花堂昭乗らと交遊。寛永20年(1643)歿、65才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐川田昌俊 さかわだ-まさとし

1579-1643 織豊-江戸時代前期の武士,歌人。
天正(てんしょう)7年生まれ。木戸玄斎の養子。山城(京都府)淀(よど)藩主永井尚政の家臣。飛鳥井雅庸(あすかい-まさつね),近衛信尋(のぶひろ)に和歌をまなび,連歌,茶道にもすぐれた。寛永20年8月3日死去。65歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。本姓は高階。通称は喜六。号は壺斎,黙々翁。姓は佐河田ともかく。著作に「松花堂行状記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

佐川田昌俊

没年:寛永20.8.3(1643.9.15)
生年:天正7(1579)
江戸初期の歌人。本姓高階,通称喜六。号黙々,壺斎,不二山人など。下野早川田村生まれ。越後の武将木戸元斎の養子となる。和歌,連歌の手ほどきはまずこの養父から受けたらしい。元斎没後浪々の身となるが,永井直勝に見出され,次の尚政の代には和歌・連歌の両面で活躍し,林羅山,松花堂昭乗,小堀遠州らとの交渉繁く,近世初期を代表する文人のひとりとなる。特に「吉野山花待つ頃の朝な朝な心にかかる峰の白雲」の詠は人口に膾炙した。<参考文献>渡辺憲司「佐河田昌俊の前半生について」(『近世文芸』31号),同「佐川田昌俊と永井家の周辺」(『立教大学日本文学』67号)

(久保田啓一)

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