日本歴史地名大系 「佐折村」の解説 佐折村さおりむら 静岡県:富士宮市佐折村[現在地名]富士宮市佐折精進川(しようじんがわ)村の北に位置し、山間渓谷を西沢(にしざわ)川が南流する。天正二年(一五七四)一一月晦日の武田家朱印状(木本文書)に武田氏が江尻(えじり)城(現清水市)、興国寺(こうこくじ)城(現沼津市)ほかの普請材木の杣取を命じた富士北山(ふじきたやま)の杣夫四九人のうちに、「さをり」の善右衛門・宮内右衛門・八郎左衛門・次郎右衛門・源左衛門ら五名がみえ、彼らはこの奉公によりその他の普請役一切を免除されている。 佐折村さおりむら 愛知県:海部郡佐織町佐折村[現在地名]佐織町佐折東は青塚(あおつか)村(現津島市)、北と西は勝幡(しよばた)村に包まれた村。長野(ながの)村万徳(まんとく)寺(現稲沢市)蔵の釈論巻九〇に「文安四年於尾州海東郡左折郷」とある。「尾張国地名考」は佐織縞の起源について「八十年ほど前までは村中家ごとに庭に藍瓶をいけて手染をして縞を織たり宝暦年中阿波国より早染店といふを尾張へ出せり其色麗しきに就て其後手染を止といふ」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by