精選版 日本国語大辞典 「青塚」の意味・読み・例文・類語 せい‐ちょう【青塚・青冢】 [ 1 ] 〘 名詞 〙 青い苔(こけ)のはえた塚。苔むした墓。せいちょ。[初出の実例]「丹丘青塚、忽具二如来之真色一」(出典:本朝文粋(1060頃)一三・為左大臣供養浄妙寺願文〈大江匡衡〉)「歩み疲れては、青塚(セイチャウ)の下に立在(たたずみ)」(出典:読本・椿説弓張月(1807‐11)後)[その他の文献]〔杜甫‐詠懐古跡詩〕[ 2 ] 中国の漢代、匈奴の単于(ぜんう)に嫁した王昭君の墓。内モンゴル自治区中央部のフフホト(呼和浩特)市南郊の黒河岸にあり、周囲の白い草と違ってこの塚の草だけが青かったという。〔王昌齢‐箜引〕 あお‐つかあを‥【青塚】 〘 名詞 〙 青い草の生い茂っている塚。[初出の実例]「道の傍(そば)なる青塚(アヲツカ)の陰に」(出典:太平記(14C後)三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「青塚」の解説 青塚あおつか 愛知県:西春日井郡豊山町豊場村青塚[現在地名]豊山町豊場 青塚屋敷塚の面積約一千三二〇坪・高さ四〇尺あり、雑木・竹が繁茂し、頂上に富士社(祭神木花開哉姫命)を祀る(西春日井郡誌)。俗に天正一二年(一五八四)の小牧・長久手の戦の時、豊臣秀吉の将森長可がこの塚に陣し、長久手(ながくて)で一敗するや、秀吉自らこの塚に登り、美濃路退軍の指揮をしたというが、この時の配陣の位置、行軍の経路などから、これは丹羽郡青塚の誤りであろう(尾張志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報