日本歴史地名大系 「佐津間村」の解説
佐津間村
さつまむら
- 千葉県:鎌ヶ谷市
- 佐津間村
年未詳の某歎願状(相馬文書、以下断りのない限り同文書)によれば相馬胤村の遺領のうち「薩摩・粟野」など五ヵ村のなかから二ヵ村を胤村後家分として配分したい旨の要請が幕府になされている。文永九年(一二七二)一〇月二九日、当村は平松若丸(相馬師胤)に配分され、幕府はこれを安堵した(関東下知状)。正応二年(一二八九)二月二〇日、師胤は当村を松鶴丸(子息重胤と思われる)に譲り、村内の「王四郎入道在家・□□又次郎在家」は女房に一期譲与した(平某譲状)。その後、重胤は奥州
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報