佐美谷口
さびたにぐち
南北朝時代の古戦場。正平三年(一三四八)正月、四条縄手(現四條畷市)の合戦に楠木正行を討死させたあと、高師泰は楠木氏の本拠である東条を攻撃し、石川河原に向城を設け(「太平記」巻二六芳野炎上事)、三月一八日・一九日に佐美谷口で合戦が行われた。楠木正儀の手に属して戦った和泉国和田助氏の同七年六月日付軍忠状(和田文書)には「同三月十八日・十九日越州東条上時、彼方佐美谷口所々合戦、致
軍忠
畢」とみえる。師泰の向城は佐備川と石川、千早川と石川の各合流点の近くにあり、佐美谷口は佐備川と石川の合流点付近か、佐備川を若干さかのぼった辺りをいうのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 