20世紀日本人名事典 「佐藤三千夫」の解説 佐藤 三千夫サトウ ミチオ 大正期の反戦運動家 生年明治33(1900)年1月2日 没年大正11(1922)年12月4日 出生地宮城県登米郡登米町寺池九日町 経歴大正8年ウラジオストックに渡って木村格商店に勤めるが、この頃から社会主義思想に関心を抱き、10年パルチザン部隊に入隊し、ハバロフスクなどで日本帝国主義軍隊に対する侵略戦争に反対の宣伝ビラの撒布活動などをした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤三千夫」の意味・わかりやすい解説 佐藤三千夫さとうみちお(1900―1922) 大正期の社会主義者。明治33年1月2日宮城県に生まれる。佐沼(さぬま)中学、東北中学を経て、簿記専修学校に入るが、すぐに中退し1919年(大正8)7月ウラジオストクに渡る。マッチ製造販売の木村商店勤務中に社会主義思想に共鳴し、パルチザン部隊に身を投じる。このころ「進」の名を用いる。日本のシベリア出兵軍に対して帝国主義戦争反対や撤兵要求の宣伝ビラを散布(さんぷ)するなど、侵略戦争、反革命と勇敢に戦う。大正11年12月4日、ハバロフスクの陸軍病院で死亡。[荻野富士夫]『徳永直「日本人サトウ」(『人間』5巻7号所収・1950・目黒書店)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤三千夫」の解説 佐藤三千夫 さとう-みちお 1900-1922 大正時代の反戦運動家。明治33年1月2日生まれ。大正8年ウラジオストクにわたり,マッチ工場ではたらく。社会主義思想に共鳴し,パルチザン部隊に入隊。シベリア出兵の日本軍に戦争反対をよびかけ,また反革命軍とたたかう。大正11年12月4日ハバロフスクで病死。23歳。宮城県出身。東北中学卒。変名は進。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by