革命に反対する運動・勢力、ないしこの運動・勢力による旧体制の復活のこと。反革命ということばは、フランス大革命のさなか、1790年にダントンによって初めて使用されたといわれる。1792年、国民公会に提出されたルイ16世の起訴理由のなかで、王は「パリにおいて、特殊団体をして自らの反革命的計画に有用な種々の活動を遂行させた」と言及され、93年のジャコバン派回状にも「反革命派は、政府のなかに、国民公会のなかにいる」と用いられて、以後、政治用語として定着していった。反動・反動派ということばは、やや遅れて1795、96年に現れたという。
反革命勢力は、革命過程に現れる急進派・穏健派・保守反動派のうちの保守反動派とほぼ同義であり、フランス革命のようなブルジョア民主主義革命においては、旧絶対王政下の僧侶(そうりょ)・貴族・官僚層などが中心となる。ロシア革命のようなプロレタリア社会主義革命の場合には、反動的ブルジョアジーのほかに、ツァーリ専制下で栄華を極めた旧貴族・地主層も含まれていた。また、こうした国内に残存する旧支配階級とその支持者のほかに、革命過程での国外亡命者たち、革命の国際的波及を恐れる外国支配層も、反革命勢力を構成しうる。ロシア十月革命後の内戦・干渉戦争は、これら勢力の合体した反革命であった。日本のシベリア出兵もその一翼を形成した。
反革命には、革命勢力の台頭局面で事前にこれを弾圧・制圧する「予防的反革命」と、革命権力獲得後に旧体制を復活しようとする「復古的反革命」とがある。ウィーン会議後のメッテルニヒ体制や20世紀のイタリア・ファシズム、ドイツ・ナチズムは、「予防的反革命」の典型であり、「復古的反革命」の例としては、イギリス清教徒革命後のチャールズ2世の復活(1660)、フランス大革命後のブルボン王朝復活(1814)、チリ人民連合政府に対するアメリカと結び付いた軍部クーデター(1973)、東欧革命のなかでのルーマニア・チャウシェスク政権によるティミショアラの虐殺(1989)などがある。
反革命は革命の反対概念であるから、革命権力の強さと安定度に応じてその成功・不成功の帰趨(きすう)が決せられる。革命勢力の内部の分裂や革命権力の社会的基盤の脆弱(ぜいじゃく)性、とりわけ穏健派を形成する中間勢力への急進派のヘゲモニーと指導の失敗は、反革命の重要な条件となる。この見地からすれば、革命の急進的「行きすぎ」、国民大衆の政治意識や主体的成熟度を顧慮せずに行われる革命プログラムの実行も、反革命の誘因となる。また、革命過程の内発的成熟度、すなわち革命勢力が旧体制下でどれだけ国民的多数派を結集し国家諸装置内部の軍人・警察官・官吏にも政治的思想的ヘゲモニーを行使しえてきたかが、とりわけ外国支配層の干渉と結び付いた反革命に対する抵抗の能力を規定することになる。革命過程では革命勢力内部にも反革命勢力の影響が流入するのは不可避であるが、革命勢力内部の異論者・反対派と反革命勢力とを見誤り「反革命の手先・スパイ」とすることは革命の自殺行為となる。現実の政治過程では内部の反対派が反革命に転化することもありうるのではあるが。
20世紀の反革命は、一般に「予防的反革命」の性格が強く、ときにはナチズムのような「擬似革命」的相貌(そうぼう)で現れることもある。また大衆的イデオロギー宣伝と情報操作の役割が増大している。
[加藤哲郎]
革命に反対する運動であり,狭義には,革命によって打倒された旧体制が復古をはかる場合をいうが,広義には,現に政権を握っている勢力が革命勢力の勃興を妨げるために諸措置を講じる場合をもいう。前者の成功例では,イギリスのピューリタン革命に対するチャールズ2世の復活による王政復古(1660),フランス革命後のブルボン王朝の復活(王政復古,1814),ドイツ三月革命に際して生まれたフランクフルト憲法議会の弾圧(1849),ブルジョア政府軍によるパリ・コミューンの弾圧(1871),ハンガリーのベーラ・クン革命政権の打倒(1919)などがある。また歴史上の失敗例としては,ロシア革命に対する白系ロシア人の帝政復活運動やワイマール共和国時代のドイツ帝政復活運動などがある。ロシア革命にみられるように,国内の旧体制反革命勢力が革命の国外波及を恐れる外国勢力と結びつき,外国軍による干渉戦争すら引き起こすこともある。
次に,既存体制が革命を予防する場合の体制武装化による反革命の例では,まず1814年のウィーン会議後,メッテルニヒによって組織された神聖同盟体制(ウィーン体制)がある。これはナポレオン失脚後,革命的風潮の漂うヨーロッパの国際秩序を再構築する際に,ロシア皇帝アレクサンドル1世の提案により国際的な反革命軍事体制づくりを行ったものである。1820年に勃発したイタリアおよびスペインの革命は,神聖同盟により鎮圧された。また,予防的な革命の第2の例としては,現代のファシズムがあげられる。社会主義革命の国際的伝播(でんば)を恐れる保守勢力が,ボリシェビズムに対する防壁としてファシズムに大きな期待をかけたことが,その成功の一因であることは否定しがたい。いずれにしても反革命はあくまで革命に対抗する運動であり,その意味では革命が鼓吹する理念や秩序を,いずれは妥協的にとり入れることも不可欠となってくるのである。
→革命 →反動
執筆者:舛添 要一
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…そして反動に対する対応策として,前者の暴虐性には政治権力の行使による積極的取締りを,後者に対しては新しい理念と制度の定着を時間をかけてはかるしかないとする。フランス革命後のヨーロッパでは革命と反革命が交錯し,政治的不安定の時期が続くが,そのなかでマルクスとエンゲルスは進歩の概念に対立する概念として反動を定義した。マルクスは歴史を〈革命を媒介とする非連続的な進歩〉としてとらえ,革命に反対する反動こそ進歩への反動であると説く。…
※「反革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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