ロシア連邦極東に位置するハバロフスク地方の中心都市。人口61万4000(1999)。アムール川東岸、支流ウスリー川との合流点付近に位置する。1651~52年にロシアの探検家エロフェイ・パーブロビチ・ハバロフЕрофей П. Хабаров/Erofey P. Habarov(1603ごろ―71以降)がこの付近に要塞(ようさい)を築いたが、ネルチンスク条約の結果、ロシアはアムール川流域から撤退した。のちに植民が再開され、1858年に現在の市の位置にハバロフの名にちなむハバロフカ哨所(しょうしょ)ができた。1880年に市制施行、84年からは、新設されたアムール沿岸地方総督の駐在地となり、93年に現市名に改称。第一次世界大戦後の1918~22年、連合国軍(日・米)によって占拠された。おもな工業は、機械・金属(工作機械、造船、船舶修理、ケーブル製造)で、「極東エネルギー機械」「極東ディーゼル」などの大工場がある。そのほか、石油精製、軽工業、食品加工、建築資材生産、化学・薬品工業などがある。単科諸大学(医学、教育、工芸、鉄道技師、体育など)、博物館、劇場などがあって教育・文化の中心でもある。交通の要地で、アムール川の重要な港湾都市であり、シベリア鉄道でザバイカル(バイカル湖東方)方面およびウラジオストク、ナホトカ港と通じている。空港は国内および国際航空の一中心となっている。中国に近い交通・軍事上の要地として、冷戦時代にはソ連極東軍管区の司令部が置かれていた。日本企業や、日露合弁企業も多く、日本総領事館が置かれているほか、姉妹都市新潟との間に定期航空路線が開かれている。
[三上正利・上野俊彦]
ロシア連邦東端,ハバロフスク地方の中心都市。アムール川とウスリー川の合流点に位置し,ロシア極東の交通の要所。人口57万9000(2005)。17世紀のロシアの探検家ハバロフの名にちなんで1858年ハバロフカ哨所として建設された。80年市となり,沿海州の行政の中心となる。93年ハバロフスクと改称,97年ウラジオストクと鉄道(ウスリー線)で結ばれ,1916年にアムール川沿いの現在のシベリア鉄道が完成,ウラル以西と結ばれた。ロシア革命後の18年から20年にかけて日本軍および白衛軍に占領されたが,22年11月ソ連領になる。49年には細菌戦を準備していた日本軍に対する〈ハバロフスク裁判〉が開かれた。第2次世界大戦後は機械製造業,金属加工業を中心とする一大工業都市となり,ディーゼル機関,船舶,石油製品,工作機械などの工場がある。7月の平均気温18℃,1月は-22℃。新潟と定期航空路で結ばれ,郊外には日本人墓地がある。
執筆者:外川 継男
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