佐藤義夫(読み)サトウ ヨシオ

20世紀日本人名事典 「佐藤義夫」の解説

佐藤 義夫
サトウ ヨシオ

昭和期の新聞・放送経営者 中部日本放送社長。



生年
明治32(1899)年3月13日

没年
昭和36(1961)年7月29日

出生地
岩手県江刺

学歴〔年〕
慶応義塾大学法科〔大正11年〕卒

経歴
星製薬に入り、時事新報を経て、昭和10年岩手日報社専務、17年新愛知新聞大阪支社長となり、同年中部日本新聞に入り、総務局長、取締役、21年常務となった。中日が推進した民間放送計画に尽力、25年中部日本放送創立と同時に代表取締役専務となり、26年9月1日の新日本放送とともに民法ラジオ開局第1声をあげた。31年テレビ兼営でも活躍、34年社長となった。


佐藤 義夫
サトウ ヨシオ

昭和期の出版人 新潮社社長。



生年
明治33(1900)年8月31日

没年
昭和42(1967)年4月28日

出生地
東京

学歴〔年〕
日本中〔昭和7年〕卒

経歴
昭和7年中学を出てすぐ父の経営する新潮社に入社副社長、21年父の引退で新潮社社長となった。22年「小説新潮」を創刊、27年「現代世界文学全集」を刊行して大成功。さらに31年出版社週刊誌のトップとして「週刊新潮」を刊行、内外反対にもかかわらず40万部を売り、週刊誌ブームを巻き起こした。日本雑誌協会常任理事、日本書籍協会監事、全国出版協会理事なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤義夫」の解説

佐藤義夫(2) さとう-よしお

1900-1967 昭和時代の出版人。
明治33年8月31日生まれ。佐藤義亮(ぎりょう)の長男。昭和7年新潮社にはいり,父のあとをつぎ21年社長。22年「小説新潮」を,31年には出版社ではじめての週刊誌「週刊新潮」を創刊した。日本雑誌協会常任理事,全国出版協会理事などをつとめた。昭和42年4月28日死去。66歳。東京出身。日本中学卒。

佐藤義夫(1) さとう-よしお

1899-1961 昭和時代の新聞・放送経営者。
明治32年3月13日生まれ。星製薬,時事新報社勤務をへて,昭和10年岩手日報社専務,17年新愛知新聞社大阪支社長,21年中部日本新聞社常務となる。25年中部日本放送創立とともに代表取締役専務,34年社長。昭和36年7月29日死去。62歳。岩手県出身。慶大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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