佐藤義亮(読み)サトウギリョウ

デジタル大辞泉 「佐藤義亮」の意味・読み・例文・類語

さとう‐ぎりょう〔‐ギリヤウ〕【佐藤義亮】

[1878~1951]出版人。秋田の生まれ。明治29年(1896)新声社設立雑誌新声」を刊行するも破綻はたん。明治37年(1904)に新潮社創立し、文芸雑誌新潮」を創刊。文芸出版社としての地位を築き上げた。

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20世紀日本人名事典 「佐藤義亮」の解説

佐藤 義亮
サトウ ギリョウ

明治〜昭和期の出版人 新潮社創業者。



生年
明治11(1878)年2月18日

没年
昭和26(1951)年8月18日

出生地
秋田県仙北郡角館町

別名
幼名=儀助,号=橘香,妖堂,浩堂

学歴〔年〕
積善学舎〔明治28年〕中退

経歴
明治28年東京へ出奔秀英舎(大日本印刷前身)の職工となる。29年新声社を起こし文芸誌「新声」を創刊。しかし経営難のため新声社を手放し、37年新潮社を創立、「新潮」を創刊した。大正3年「新潮文庫」を発足、5年「文章倶楽部」を、7年には大衆雑誌「日の出」を創刊。「名作選集」「世界文学全集」「日本文学大辞典」など多彩な出版活動を行った。昭和2年の「世界文学全集」(全38巻)では、一字一句にわたって佐藤自身が訳文を検討、38巻2万ページの訳文に、5校、6校まで朱筆を入れたという。9年富士印刷社長に就任。21年退任。著書に「生きる力」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「佐藤義亮」の意味・わかりやすい解説

佐藤義亮【さとうぎりょう】

図書出版新潮社創立者。秋田県角館出身。文学を志し18歳で上京。1896年新声社を創立し投稿雑誌《新声》を創刊したが,1903年経営不振のため譲渡。1904年新たに新潮社を創立,文芸雑誌《新潮》を創刊。中村武羅夫ら編集者に人材を得て,明治末以降今日まで,日本の代表的文芸雑誌とされている。終始一貫文芸出版に従事し,明治・大正・昭和三代にわたって日本の文壇に大きく貢献した。
→関連項目田口掬汀

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤義亮」の解説

佐藤義亮 さとう-ぎりょう

1878-1951 明治-昭和時代の出版人。
明治11年2月18日生まれ。28年上京して秀英舎(現大日本印刷)に勤務。翌年,新声社を設立し「新声」を創刊するが失敗。37年新潮社を創業し,文芸雑誌「新潮」を発刊。新潮文庫,「世界文学全集」などで文芸出版社としての地位を確立した。昭和26年8月18日死去。73歳。秋田県出身。初名は儀助。筆名は橘香,浩堂など。

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367日誕生日大事典 「佐藤義亮」の解説

佐藤 義亮 (さとう ぎりょう)

生年月日:1878年2月18日
明治時代-昭和時代の出版人。富士印刷社長
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐藤義亮の言及

【新潮】より

…1904年(明治37)5月創刊。1896年《新声》を発刊して明治30年代の文学に重要な役割を果たしながら,新声社の経営に失敗して挫折した佐藤義亮(ぎりよう)が,義弟中根駒十郎らの力をかりて新潮社をおこし,日露戦争下に新たに創刊したもの。初めは投書雑誌的傾向をもっていたが,佐藤紅緑や高須梅渓,田口掬汀(きくてい)ら《新声》以来の執筆者をはじめ,小栗風葉,真山青果,徳田秋声,上田敏,生田長江らが活躍した。…

【新潮社[株]】より

…佐藤義亮(ぎりよう)が1904年に設立した文芸出版社。本社,東京都新宿区矢来町。…

※「佐藤義亮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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