日本歴史地名大系 「佐護村」の解説 佐護村さごむら 長崎県:上県郡上県町佐護村[現在地名]上県町佐護北里(さごきたさと)・佐護西里(さごにしさと)・佐護東里(さごひがしさと)・佐護南里(さごみなみさと)上県郡の主峰御(み)嶽を水源とする佐護川が形成する平野に開ける。流域に仁田内(にたのうち)・深山(みやま)・恵古(えこ)・井口(いくち)・友谷(ともや)・椋梨(むくなし)・湊(みなと)の七集落があり、佐護はこれらの総称でもある。弥生時代の遺跡が多く、クビル遺跡と白嶽(しらたけ)遺跡からは珍しい楽浪系の青銅器が出土。伝承される北魏仏の台座正面に興安二年(四五三)とあり、また側面に「釈迦文仏」と刻まれていた。また天神多久頭魂(てんじんたくつたま)神社・天諸羽(あめのもろは)神社・神御魂(かんむすび)神社などの名神古社が鎮座、古代における上県郡の祭祀の中心地であった。中世・近世にわたる広域地名の佐護は近世には上佐護村・下佐護村ともみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by