余部郷
あまりべごう
「和名抄」にみえる餝磨郡余戸郷を継承したとみられる中世の郷名。余部庄とも記される。現姫路市北西部の旧余部村地区一帯に比定されるか。正安二年(一三〇〇)八月撰の性空上人伝記遺続集(円教寺蔵)などによれば、書写山理教院の長日如法経は宝治三年(一二四九)に後嵯峨上皇の御願で始められ、同経書写用途料として「国領飾西余部郷」が寄進されており、当時は国衙領であった。
余部郷
あまるべごう
「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本に記載がなく、東急本・名博本・元和古活字本にみえる。諸本に訓はないが、アマルヘとする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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