作人館跡(読み)さくじんかんあと

日本歴史地名大系 「作人館跡」の解説

作人館跡
さくじんかんあと

[現在地名]盛岡市中央通一丁目

日影門外(ひかげもんそと)小路(旧三戸町)の日影門と仁王(におう)門を結ぶ通りの北に位置する盛岡藩の藩校。かつては三戸(さんのへ)町角稽古場とも称した。「盛岡砂子」や明治期の学校沿革調(南部文書)によると、明和八年(一七七一)九代藩主南部利雄の子利謹が部屋住のとき武芸の稽古場を建立、各流派の武芸師範二七人に武芸修練のため貸与したという。それ以前は儀俄重右衛門の屋敷で、文化二年(一八〇五)儒臣下田三蔵を召抱えて経学講義を開始。のち藩士の文武両道の稽古場として使用されたが、天保一一年(一八四〇)明義(めいぎ)堂と命名(雑書)、いわゆる藩校となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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