日本大百科全書(ニッポニカ) 「侯家荘大墓」の意味・わかりやすい解説
侯家荘大墓
こうかそうたいぼ
中国、古代殷(いん)王朝(?~前1028)の遺跡。河南(かなん/ホーナン)省安陽(あんよう/アンヤン)市の西、侯家荘西北岡は殷王朝の陵墓の地で、十数基の大墓と200基を数える小墓が発見されている。地下十数メートルの所にある墓室から、長い墓道が四方に伸びており、大きなもので南北100メートル、東西70メートルに達する。墓室からは精巧な青銅器や玉器などが多数出土するが、注目されるのは、おびただしい数の殉死者、犠牲者を伴うことである。発見される人骨が一つの大墓につき百数十体に上る場合もある。亡くなった王に対する祭り、および祖先に対する祭りがどのように行われたかは明らかでないが、大量の人間が殺されたことは甲骨文の記述からも確かめられる。奴隷制社会の残酷、凄惨(せいさん)な習俗を示すものといえよう。
[吉村 怜]