保呂羽村(読み)ほろはむら

日本歴史地名大系 「保呂羽村」の解説

保呂羽村
ほろはむら

[現在地名]藤沢町保呂羽

保呂羽山南麓にあり、東は安道やすどう峠など、南は大峰おおみね(四六三・七メートル)三方を山で囲まれる。中央を保呂羽川が西流。北は徳田とくだ村、西は藤沢本郷。村名は修験の山、保呂羽山にちなむとされ、山名は神の使いのホロホロ鳥(白雉子)が生息していたことから付けられたといわれる。元亀二年(一五七一)七月七日の葛西晴信知行宛行状(若柳千葉文書)によると、栗原くりはら佐沼さぬま(現宮城県登米郡迫町)での葛西氏と大崎氏の合戦の際、大崎方一の勇者青梅刑部を討取った功により、千葉四郎右之衛門尉に保呂羽村の五千刈が宛行われている。同月一〇日付の葛西晴信宛行状(折壁横沢文書)では、保呂羽村五千刈が亡父の譲状に任せて横沢平九郎に安堵された。天正二年(一五七四)の本吉大膳大夫の反乱の後には、北沢きたざわ(現宮城県気仙沼市)での合戦の功により、三千刈が小野寺五郎左衛門通次に宛行われた(同年四月二日「葛西晴信知行宛行状写」本吉小野寺文書)。同一六年の藤沢の陣の際には、葛西晴信の陣が保呂羽山麓の森(陣ヶ森)に設けられたという(「奥州葛西動乱記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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