日本歴史地名大系 「藤沢本郷」の解説
藤沢本郷
ふじさわほんごう
一五三〇年代頃の熊野山新宮勧進状(熊野速玉大社文書)に藤沢とみえ、同地の源舟・重秀・久秀が一貫文を紀伊熊野新宮へ寄進している。天文一二年(一五四三)三月四日には藤沢村内三千刈が葛西氏から軍功の賞として亀卦川弥市郎へ宛行われ(「葛西高信宛行状」大原亀卦川文書)、翌一三年八月七日には同じく三千刈が軍功により熊谷又次郎に与えられている(「葛西高信宛行状」気仙沼熊谷文書)。元亀二年(一五七一)葛西氏と大崎氏との
慶長五年(一六〇〇)の山岡重長以下人数書(伊達家文書)には「喜庵牧野右兵衛藤沢せんまや」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報