保国寺跡(読み)ほこくじあと

日本歴史地名大系 「保国寺跡」の解説

保国寺跡
ほこくじあと

[現在地名]倉吉市大谷

四王寺しおうじ山の麓にあったと推定される臨済宗の寺。創建は鹿苑院(足利義満)在世の応安元年―応永元年(一三六八―九四)の頃と思われ、開山は伯耆守護山名氏之(「保国寺由緒」相国寺光源院文書、以下同文書は省略)。伯耆山名一族の菩提を弔うために守護領の内に建立されたのであろう。のち守護山名政之によって京都相国しようこく寺の塔頭の一つ広徳こうとく(のち光源院と改称)領とされた。これはおそらく前出由緒の筆者で当寺にも止住した妙安の師瀑岩と山名政之の師檀関係によるものであろう。一方、山名澄之は永正年間(一五〇四―二一)頃保国寺に招請されていた妙安に四王寺・国分寺を寄進している(前出由緒)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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