保戸野村(読み)ほどのむら

日本歴史地名大系 「保戸野村」の解説

保戸野村
ほどのむら

[現在地名]秋田市保戸野原(ほどのはら)の町・同千代田(ちよだ)町・同八丁(はつちよう)・同金砂(かなさ)町・同鉄砲(てつぽう)町・高陽幸(こうようさいわい)町・同青柳(あおやぎ)町・保戸野

久保田(くぼた)城下の北西、城下の保戸野侍町に続く。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に、程野村六八石八斗六升とみえ、文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)には一二九石二斗八升八合と記される。近隣の泉(いずみ)村・川尻(かわしり)村に比べて小規模な村といえよう。「ホド」は二つの山の間の低地の意といわれ、神明(しんめい)山(現千秋(せんしゆう)公園)と泉山に挟まれた低地で、幕末頃まで多くの低湿地・沼地が残った。

泉堰沿いに水田が開け、寛永二年(一六二五)三月の再検地に対し、泉村など六ヵ村とともに、七ツ五分の物成では村中困窮すると訴え、免六ツ半に改めさせ、「百姓は五つ五分ならては罷成間敷」と減免要求を重ねている(「梅津政景日記」寛永二年三月二六日条)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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