日本歴史地名大系 「保戸野村」の解説
保戸野村
ほどのむら
泉堰沿いに水田が開け、寛永二年(一六二五)三月の再検地に対し、泉村など六ヵ村とともに、七ツ五分の物成では村中困窮すると訴え、免六ツ半に改めさせ、「百姓は五つ五分ならては罷成間敷」と減免要求を重ねている(「梅津政景日記」寛永二年三月二六日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
泉堰沿いに水田が開け、寛永二年(一六二五)三月の再検地に対し、泉村など六ヵ村とともに、七ツ五分の物成では村中困窮すると訴え、免六ツ半に改めさせ、「百姓は五つ五分ならては罷成間敷」と減免要求を重ねている(「梅津政景日記」寛永二年三月二六日条)。
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